ブラのその企画も何段になったか分からないぐらいやっていますが、今回は「西の村山、東の羽生」と並び称され「羽生が最も恐れた男」とも呼ばれた将棋棋士・村山聖を訪ね歩く企画です。
村山聖は、今から18年前の1998年8月8日にガンで亡くなりました。享年29才、生きていれば47才。
一部の人しか知る人がいなかった村山聖。しかしこの村山聖の生涯を描いた映画がこの冬に公開されています。タイトルは「聖の青春」。2000年に同名のノンフィクション小説が出ています。私はその頃その本で村山聖を知りました。1つ違い(私の方が1つ上)の若者が将棋に命をかけて亡くなった・・・。衝撃的な内容の小説でした。
今回その小説が映画化され、多くの人が村山聖を知ることになると思うと、同じ福島界隈で長く一人暮らしをした私としては何かせねば!と言う衝動にかられたのです。
みよちゃんは村山聖のことをほとんど知りませんでした。慌てて映画と本を読んでいましたが逆に今回の企画には打って付けと感じながら取材へ出かけました。
5歳の時に腎臓の難病「ネフローゼ症候群」と判明。生涯この病気に悩まされます。小学5年まで国立療養所に入院。院内学級で過ごします。ともに入院していた子が亡くなることもありました。
入院中お父さんから将棋を教わり、10歳で広島市内の将棋教室に通いアマチュア四段。その後「中国こども名人戦」で4大会連続優勝。当時名人候補であった谷川浩司を倒したいという目標により、中学一年生の1982年にプロ棋士を目指す(谷川の名人就位は1983年)。
14歳の時に大阪へ。師匠と暮らし始める。ここから村山聖の福島生活が始まる。翌年奨励会入所。さっと福島に来るまでを書かせてもらいました。
取材場所をどこに行こうかといろいろ考えたのですが、やはり村山聖が将棋を本格的に学び、同年代の子供たちと切磋琢磨した関西将棋会館と中学卒業から東京に移るまで10年以上住んだ前田アパートは外せないと考え外へ出ました。
まずはJR福島駅前にある“関西将棋会館”へ。ABCから5分ほど歩いたところにあります。ここは日本将棋連盟の西の拠点!現在の日本将棋連盟の会長は、ここにある関西将棋会館出身の谷川浩司さん(神戸出身)。
案内して頂いたのは日本将棋連盟の三根さん。三根さんは、村山聖が広島から出てきた時にいろいろとお世話をした方です。
まずは関西将棋会館5階にある対局室に入れてもらいました。(映画の対局シーンはここ)
対局中と言うこともあり、入口のみの写真です。
その後、3階にある棋士室へ(ここも映画でよく登場しました)。ロッカーには歴戦の棋譜が。
続いて2階にある将棋道場へ。ここでは“各種将棋教室”や奨励会員や若手プロ棋士の稽古場にもなっています。
将棋会館1階には将棋盤の販売から書籍、扇、オリジナルグッズなどなどが・・・。見ていると子供の時やった将棋のことを思い出す。そして将棋好きの親父のことも。
ふと時計を見ると13時半。お腹が空いたのでどこへで食事をと思ったら、村山聖がよく通った更科食堂が近くにあるのでそこへ行きました。この更科食堂はJR福島駅改札を出て信号を渡ったところにある高架下の大衆食堂です。
中は典型的な大衆食堂。ここで村山聖は食事をしていたのです。注文したのは村山聖がいつも注文していたという「焼き魚定食」(さば)!美味しかったです。
腹ごしらえが終わってみよちゃんと向かったのが、今回の「村山聖を歩く」企画の主役とも言うべき場所「前田アパート」です。前田アパートは村山聖が中学を卒業した15才から東京へ移住する26才頃まで住んでいたアパートです。
この場所はABC社員にとっては懐かしい桜の名所「浦江公園」が目の前にありました。
村山聖は中学卒業後、ここ前田アパートで一人暮らしを始めます。家賃は1万3千円。
ここは村山聖ファンの聖地として知られています。亡くなってから18年経つ今も大家さんの好意により残されており、映画が公開されてから特に全国から村山ファンが訪れています。
案内してもらったのは、前田アパートの1階を借りている三谷工業の社長さん。全国から来るファンを大家さんから頼まれて部屋を見せています。
部屋の中を見せてもらいました。部屋から見ると自分が花見をしていた場所がすぐそこに!台所を入れて4畳半。トイレなし。当時のまま保存されていました。
部屋には全国から訪れるファンの為に、感想などを書くノートが置かれていました。そしてアパートの前には浦江公園が・・・。村山聖は毎日この風景を見て何を思っていたのでしょうか・・・。
そして我々二人は、実際に「前田アパート」前から村山聖の気持ちになって「将棋会館」までを歩いてみました。
村山聖が歩いた昭和57年(1982年)頃から平成8年頃(1996年)の風景からは少し変わっていますが・・・。
5分ほど歩くとシンフォニーホールに到着。前には公園がここの並木道を通ったのでしょうか?
前田アパートから10分ほどかけて将棋会館に到着しました。
この他にも師匠と二人暮らししたアパートや村山と羽生が食事をした食堂などもあったのですが、2カ所とも今はありません。亡くなってから18年。少しずつ変わりゆく福島の街を感じた取材でした。
今回の取材で分かったことは、温かい福島の町の皆さんが村山聖だけでなく、将棋の町として町全体で“将棋指し" を応援しているんだなと感じました。今も奨励会に所属する若者や若手プロ棋士が多く住む福島、下手ですが将棋を指したくなった今日この頃です。
文責・番組P 上の空