3月11日に起きた「東日本大震災」。震災以後、ドキハキ
でも震災についてさまざまな角度でお伝えしてまいりました。
地震にプラスして原発、その後の政府の対応、風評被害など
東北は今も戦っています。
そんな中、宮城県仙台市、松島、石巻を回ってきました。
簡単ではありますが、写真とともにほんの少しですが感想
なども書かせていただきます。
まずビックリしたのは仙台空港に着いていきなりでした。
ご存知のように仙台空港は津波の被害をもろに受け
空港設備の大半が水につかりました。
なので飛行機が到着してもタラップがないのです。
なので飛行機の近くには我々を旅客ターミナルまで運ぶ
バスが待機しているのです。
そのバスがなんと大阪市バス!震災後、大阪市が提供
したそうです。
旅客ターミナルはトイレ、売店、搭乗口・・・、すべてが仮設
でした。でも復興に向けってがんばっている様子が伝わって
きて、まだ誰とも話していないのに、目頭が熱くなってきました。
空港の外に出てビックリ。塩害の影響で立ち枯れしている
植木の多いこと・・・。
タクシーに乗って仙台市沿岸の被災地に・・・。
そこは別世界でした。テレビで何度も見ているはずなのに・・。
ここは海から約200メートルのところ。
ここにあった多くの家を大津波がすべてをさらっていきました。
移動中、塩害にあった田んぼの雑草を取る老夫婦に
出会いました。
途中に見た瓦礫の山の大きさにビックリしました。
仙台市立荒浜小学校。あの津波から時間が止まっています。
日本三景に数えられる「松島」に行きました。
湾内に多くの島が点在する松島は、この地形が幸いして
他の海沿い地域と比べて被害は少なかったようです。
でも船着場、海沿いの旅館やホテルの1階部分は水没し
大きな被害がありました。
遊覧船に乗りました。船上から見る風景は
何事もなかったようです。
沿岸部の国道を通って石巻へ。この国道と並行して
走っているのがJR仙石線(仙台〜石巻)。
仙石線の駅舎も被災しました。写真は野蒜(のびる)駅。
石巻に到着。報道されている異常な光景が広がって
いました。
美しい海と活気ある町がすっかりなくなっていました・・・。
この石巻は十数年前に三代澤さんも訪れたことのある町。
思い出深い「うに丼」「石ノ森萬画館」・・・。
その石ノ森萬画館で偶然出会ったのが初代仮面ライダーの
藤岡弘さん。
そして昔食べた うに丼屋さんを見つけました。しかし・・。
途中、たくさんのボランティアさんと出会いました。
瓦礫やヘドロの撤去をしています。
そこから石巻市立門脇小学校へ。
ここは津波にプラスして火災が発生しました。
門脇小学校の周辺はたくさんお人が住んでいた住宅街
でした。津波と火災ですべてが・・。
石巻最大の企業「日本製紙 石巻工場」。
ここの再生が、石巻市の再生にかかっているそうです。
すでに一部操業を再開していました。
しかし回りにはまだ瓦礫がいっぱいでした。
続いていったのが石巻市立大川小学校。
全校児童108人中、死者64人行方不明10人。
沿岸ではない、山間の川沿いにある小学校ですが大変な
被害がありました。その原因は堤防の決壊。
被災地最後の訪問地「石巻専修大学」
ここは石巻市におけるボランティアの拠点。
日本全国から多くのボランティアを受け入れています。
被災地取材の最後を締めくくりは仙台にある東北放送
からの生放送。
被災地に放送局としての取り組みやは勉強になりました。
東北放送の皆さんありがとうございました。
長々と紹介してきましたが、個人的に被災地に行く前と
行った後ではいろんな意味で受け止め方が変わりました。
やはりテレビなどの映像で見るのと自分で目で見るのとでは
違うことを認識しました。
わたし個人、被災地に行き一番感じたことは、本当に
悲惨なものを見ると声が出ないということでした。
すべてがため息でした・・・。
ドキハキは王道の報道番組ではありません。
でも被災地に行き、いろんな人と話をしてきました。
津波に襲われた話、身内がなくなった話、家がなくなった話。
また前向きに生きていく力強い話も聞きました。
そんな話を見たり聞いたりした人間として、伝えていく義務が
あるのではないかと感じています。
文責 ・ うわの空